猫の らんこ  マウスで遊んであげてね^^

2009年09月30日

松川事件発生60周年記念全国集会のお知らせ

福島大学にて松川事件発生60周年記念全国集会が開かれます。詳細は以下の通りです。
日時 2009年10月17・18日
場所 福島大学・大教室
〒960-1296 福島市金谷川1番地 TEL024−595−5151

第一日 10月17日(土)
☆開会セレモニー 13時30分
 主催者挨拶 大学 一(弁護士・NPO法人福島県松川運動記念会理事長)
 歓迎挨拶  今野順夫(福島大学学長)
 ご挨拶   鈴木 信(元被告代表)
☆記念講演
 松川の全容        伊部正之(福島大学名誉教授)
 松川の闘いと忘れえぬ人々 大塚一男(主任弁護士)16時半終了

第二日 10月18日(日)9時30分
☆記念講演
 松川事件と特高警察    柳河瀬 精(治安維持法国賠同盟本部副会長)
☆問題提起
 松川事件と人間      呑川 泰司 (歴史研究家)
☆閉会セレモニー
 アピール採択   (12時30分)

☆オプション
ミニ現地調査 事件現場・松川記念塔訪問(バス参加費1000円 弁当代込み)
13時:出発
13時20分:事件現場説明 
14時:記念塔公園〜大槻呉服店
16時:JR福島駅到着

集会参加費1000円
主催 松川事件60周年記念全国集会実行委員会
連絡事務所 〒960‐8103福島県福島市舟場町3‐28青年会館内 日本国民救援会福島県本部
TEL FAX 024-522-7366
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2009年09月28日

祝 伊部先生ご出版 『松川裁判から、いま何を学ぶか ―戦後最大の冤罪事件の全容』

拙著を出したときに大変お世話になり、本文の中で論文を引用させて頂いた
福島大学名誉教授・伊部正之先生の御著書が、10月9日に岩波書店から出版されます。
私が原稿を書き上げられたのは、ひとえに伊部先生のおかげと言っても
過言ではありません。伊部先生の膨大なお仕事と地道なご研究に感服し、
そして常に謙虚で真摯で誠実なお人柄にほれ込んで、人生の師とも仰ぐ方です。

謎の列車転覆事件、14年続いた世紀の裁判。
被告の無実を信じ、起ち上がった広範な人々。
歴史に刻まれた松川事件の、今日的意味を問う決定版です。
先生おめでとうございます!そしてますますのご活躍をお祈りしております!

『松川裁判から、いま何を学ぶか ―戦後最大の冤罪事件の全容』

はじめに――松川事件を六〇年後になぜ問い直すか
第一章 真夜中の列車転覆――松川事件の発生
第二章 松川裁判の一四年――無罪はいかにして勝ち取られたか
第三章 松川運動の特質とは何か――裁判批判と救援と
第四章 松川事件の背景と真犯人――占領下の黒い霧
おわりに 松川裁判と現代――松川裁判から何を学ぶか
あとがき

六〇年前の一九四九年八月一七日、東北本線金谷川―松川駅間における真夜中の列車転覆という怪事件。国鉄と東芝の計二〇人の労働者が起訴され、第一審、第二審では大逆事件以来の大量死刑判決が下された。その後、作家・広津和郎の裁判批判や、広範な市民の公正裁判、無罪判決を求める声が渦となり、計一四年間続いた世紀の裁判は全員無罪が確定した。本書では、この松川事件の背景や真犯人論の解明も含めて、戦後最大の冤罪事件が生み出された過程を検証し、松川裁判の軌跡を総括。そして未曾有の裁判批判・救援運動として広がった松川運動の特質をも克明に描き出した決定版である。

著者略歴 1942年2月15日 北海道生まれ
     1970年4月〜2007年3月 福島大学教員
     2009年4月 福島大学名誉教授・松川資料室研究員
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2008年05月28日

本田昇さん、伊部先生との再会 そして1988年の新聞記事「松川事件 あのときの出会い」

福島大学の伊部先生が、学会で東京におみえになり、お目にかかることになりました。
元被告の本田昇さんと、松川支援運動の中心的存在だった古谷恒雄さんも、
駆けつけて下さり、久しぶりの再会を祝し、4人で乾杯をしました。
皆さんと飲むのはこれがはじめてですが(といっても私は下戸なのでウーロン茶で乾杯です)、
本田さんが焼酎を飲みながら、1949年の松川事件前夜の飲み会でほろ酔いかげんで、
仲間と恋愛談義に花を咲かせたことを、懐かしそうに語って下さったのが、印象に残りました。
帰り道に酔いのせいで足がふらつき、ほのかに思いを寄せていた女性の肩に軽くぶつかり、
思わず詫びたのだそうです。そのときのことが、後にアリバイとなったといいます。
逮捕される前の本田さんは、現代の若者と同じ、どこにでもいる恋に悩む青年であったことを、
今さらながら思い知らされ、胸が痛みます。しかしこうしてお元気な本田さんと知り合い、
共に語らうことができた幸せをも、あらためてかみしめました。

伊部先生は私の次作の資料についてアドバイスを下さり、
古谷さんは拙著について質問や感想を述べてくださり、
共に大変ありがたく、励みになるひと時でした。
古谷さんが、広津和郎氏長女の作家・広津桃子氏の記した1988年2月の、
貴重な新聞記事のコピーを持参して下さいました。
門田氏から広津桃子氏宛の賀状、そして、本田さんと門田裁判長の偶然の出会いについて
記された、非常に興味深い記事です。
祖父の名前も出ており、思わずどきり。
少し長いですが、全文引用してご紹介しようと思います。


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「松川事件」あのときの出会い 廣津桃子 1988.2.22

年頭とどけられた賀状のなかに、元裁判官、現在は弁護士をされている門田実氏のそれがあった。門田氏は松川裁判が仙台高裁に差し戻された折、一審、二審ともに有罪とされた被告たち全員に、無罪を言い渡した裁判長としても知られている。

松川事件は昭和24年に起こった列車転覆事件であるが、
いまもって人々の口の端にのぼるのは、被告とされた人々が無罪となるまで、
14年におよぶ年月がかかったこと、関心をよせる人々のひろがりが広く大きく、
各界各層におよんだことによるのかもしれない。私の父も救援運動に参加し、
期せずして、その中心的立場に立つようになったことから、私も父にしたがって、
仙台での裁判を傍聴したが、そのとき耳にした無罪の言葉によってうけた感銘は
いまもって忘れられない。それはまさに、干天に慈雨の思いであった。

門田氏の賀状は、謹賀新年の朱印をのこしたあとの空白欄に、黒い太目の文字でしるされていた。
「お父上や私を非難攻撃していた田中長官も、
下飯坂判事も石坂修一判事も青柳文雄最高裁調査官も皆他界し、
残ったのが、私一人になりました。夢のようです。
私もすでに83歳になりましたから、間もなく去り行くとは思いますが、
まだ元気で仕事をいたしております。ご多幸をお祈りいたします」

くずし字などは一つもなく、一字一字几帳面に書かれ、それでいてどこか若々しい。
83歳とはとても思われない文字を眼にしながら、私はふと、
被告の一人であった本田昇氏から耳にした話を思い出した。

もう何年か前のことである。新橋の駅で、前を行く門田氏をみかけた本田氏は、
「門田先生」と声をかけた。この時はもう門田氏は裁判官ではなく、弁護士になっておられた。
「『はい』と言って、こちらを向き、はじめはわからなかったようでしたが、
松川の本田ですと言うと、すぐ気がつかれた様子でした」
鎌倉住まいの門田氏と大船下車の本田氏とは、同じ方向である。
二人は同じ電車にのり、話を交わしあいながら、車内での時間を過ごしたのだそうである。

法廷といういかめしい場所で、裁判長と被告という立場に分かれていた両者が、
連れ立って、家路を行く光景を思い描くと、なにかたのしく、その話を耳にしながら、
私は思わず微笑を覚えたのである。
そして、父に告げてみたい話であると思った。
もし、告げることが出来たとしたら、父は何と答えるであろう。

その父も、没してから、はや20年を数えようとしている。
わが家の墓所は谷中霊園にあるが、辺りの風景は年毎に変わってゆく。
排気ガスのためか、いたみのひどい古い木々が切られ、あたりは明るく、からっとして、
以前持っていた暗さ、陰気さはないが、それだけ、かつての静かさは失せてしまった。
わが家の墓所の前側にあたる位置にあった二本の欅も、いつの間にか切られて、
わすかに切り株が残されているだけである。
墓参の度に、もうなくなっているのではないかと、気がかりで、
急ぎ足で来て梢を仰ぎ、その存在にホッとしたものであったが……。

父の命日、いつものように墓参に訪れた私は、友人たちと墓所内に足をとめていた。
と、「あれは、ここへくる人達ではなくて?」側に立つ友人が言う。
小道から姿をあらわし、やや広い通りをこえてくる男だけの一団に目を向けて、私は
「そうよ」と、答えた。
花束を手にした人を先頭に近づいてくるのは、松川関係の人々である。
前年も彼等一団は墓前を訪れてくれた。
そして、さらにその前年も、又、その前々年も同じであった。

おかげで毎年の秋の彼岸、特に父の命日、我が家の墓所はにぎやかである。
もし父が松川事件に心を動かさず、又、裁判にも関心を持たなかったとしたら、
あるいは知り合うこともなかったであろう人々と、挨拶を交わしながら、
私は、人との出会いの不思議さを思っていた。

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私もまた人との出会いの不思議さを思わずにはいられません。

広津桃子氏はこの記事を書いた年になくなっています。
(写真右より 本田昇さん、伊部正之先生、古谷恒雄さん)

20080524 伊部先生 本田さん.jpg
posted by 橘かがり at 12:41| 松川事件 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする