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2008年10月25日

シエナ聖女カテリーナ通り 須賀敦子さん没後10年

須賀敦子さんが亡くなってからもう10年がたちます。
今月号の芸術新潮では「須賀敦子が愛したもの」という特集を組み、
須賀さんの愛した街、坂道、美術、建築、着物などを、
豊富な写真と共に紹介しています。
須賀さんを愛した多くの人たちが、この特集をどれほど待ち焦がれていたことでしょう。
表紙はイタリア・ボルディゲラの海岸で微笑む、若き日の須賀さん。

家族が寝静まった夜更けに、どきどきしながらページをめくりました。
まず「シエナ聖女カテリーナ通り」の写真に、吸いよせられました。
『遠い朝の本たち』(筑摩書房)の中の「シエナの坂道」という章に、
強く胸を打たれ、何度も何度も読み返したことがあるからです。

「聖女カテリーナ通り」は、明るい光に照らされた細い坂道です。
大学生になったばかりの須賀さんは、聖女カテリーナの伝記を読んで
その生涯にのめりこみ、大学での最初の課題に選んだといいます。
「シエナの坂道」を読み返すたびに、
須賀さんの情熱に深く共感し、憧れ、どれほどの勇気を与えられたか知れません。

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なにも大学まで行くことはないだろうと進学に反対する両親にあらゆる約束をし、
自分自身にもくりかえし誓ったあげく、
設立されたばかりの新制大学にいくことをゆるされたその年の五月は、
豊かな緑にかこまれた渋谷のキャンパスの樹々の下草までがきらきらと輝いて見えた。
そのはじめての授業で、たぶん西洋史の授業だったのだろう、単位をとる条件として、
小論文といっしょに、ブック・レポートというのを、ひと月に一本出すようにいわれた。
戦後、来日したばかりのアメリカ人教授の担当していたクラスで、
最初の授業時間にタイプライター用紙二枚に
ぎっしり打った参考文献のリストがくばられてまずびっくりした。
そこには小説あり、詩集あり、歴史書ありで、その範囲の広さがまずうれしかったが、
どれも英語の原書ばかりだったし、レポートも英語で書くようにいわれて、
私たちは顔を見合わせた。

はじめてのブック・レポートに選んだのが『シエナの聖女カテリーナ』という、
十四世紀のイタリアに生きた女性の自伝で、著者はデンマークの作家ヨルゲンセン、
大学の図書館にあったのは、アメリカで出たばかりの英語版ハードカヴァーだった。
五百ページもあったろうか、当時の私の読解力では、
ただ読破するだけでも大変な大冊なのである。
でも大学に入れたというので、私は牡牛みたいにはりきっていた。
よおし、読んでやろうじゃないか。(中略)

ルネッサンスの夜明けの時代ともいえる十四世紀の半ば、
シエナの染物職人の娘に生まれたカテリーナ・ベニンカーサは
(中世の聖女伝の常套にしたがって、オルレアンの処女ジャンヌ・ダルクと同じように)、
幼いとき、自分は神に呼ばれている、という確信を得て、
神だけにみちびかれて生きることを選んだ。
すくなくとも、そんなふうに本には書いてあった。
ヨルゲンセンによると、両親はこれを心配し、一日も早くいい相手をみつけて
結婚させようとするが、ごうじょっぱりなカテリーナは、
意志の堅いことをわからせようとして、長かった髪をばっさり切り落とし、
自分の部屋にたてこもった。

「神に呼ばれる」とか「神だけにみちびかれて生きる」というような表現は、
キリスト教の伝統のなかではごく日常的に用いられるもので、
私がカテリーナの伝記を読んだころ、カトリック教会では一方的に
「修道女として生きる」という意味に解釈されていた。
でも、カテリーナは修道院には入らない。髪を切りはしたけれど、
彼女は、学問をおさめ、政治にまで関与した。

「神だけに導かれて生きる」というのは、もしかしたら、
自分がそのために生まれてきたと思える生き方を、
他をかえりみないで、徹底的に追求するということではないか。
私は、カテリーナのように激しく生きたかった。
(「シエナの坂道」  『遠い朝の本たち』筑摩書房)

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生きるための道しるべともなったカテリーナの故郷を、須賀さんが訪れたのは、
パリに留学したものの、自分の道を探しあぐねていた1954年の夏だったといいます。
「暗い谷底に降りるような細い坂道のてっぺんに私は立っていた」
須賀さんはそう書いています。
結局カテリーナの生家を訪れることはできなかったそうです。
「あんなに近くまで行ったのに、カテリーナの家を訪ねることもできなかったなんて」

しかしこれには40年後の後日譚があります。
須賀さんは今度こそカテリーナの家を訪ねようと、あの谷底のような道を探しに行きます。
ようやく見つけたその道は、明るい太陽に照らされた平凡な坂道だったといいます。

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しかし、いったいどういうことだったのか。
四十年のあいだ、私の脳裡に浮かんでは消えたあの暗い、けわしい坂道は、
どこにも見あたらなくて、ぎらぎらした真夏の太陽が、聖堂の前のだらだら坂を、
両脇にならんだ家々の屋根を、白茶けた壁を照らしているだけだった。
腑抜けのようになって、私はぼんやりしていた。
それでは、あのけわしい坂道はいったいなんだったのか。
疲れてペルージャに帰ったあの夜、私の見た夢にすぎなかったのか。

驟雨のような祈りの声が聞こえてくるカテリーナの小聖堂にはついに入らないで、
私は太陽の照りつけるだらだら坂に戻った。なにも考えることはなかった。
泣いたり笑ったり、歩いたり、船に乗ったり、昼寝をしたりした四十年という時間は、
それなりに満ち足りたものだった。そのとき、髪をみじかく切った少女が、
こわばった表情で坂道をこちらに向いて歩いてきた。

その子の固い表情を見ていて、ふと、私は大学生でカテリーナの伝記を読んでいたころの、
「そのために自分が生まれてきたと思える生き方を、他をかえりみないで、
徹底的に探求する」のに、へとへとになっていた自分を思い出した。
ぎこちない足取りで歩いていく少女を見送りながら、
私はあの本をもういちど読んでみたいような気がした。
(「シエナの坂道」  『遠い朝の本たち』筑摩書房)

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私も須賀さんのように、激しく生きてみたい。
最初に読んだときに体がふるえました。
そのときと同じ思いが、今も私の胸を駆けめぐるのです。
須賀敦子さんは、永遠に憧れの方です。
posted by 橘かがり at 07:42| 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする