2008年08月19日

北へ みちのくへ まほろばへ 青森旅行日記 その2

十和田湖畔の宿で温泉につかり、津軽三味線のライブを聴いて、
旅の宿を満喫しました。翌日は少し早めに起きて、
朝もやの中の幻想的な十和田湖畔を散策しました。
十和田湖は、いつまで眺めてもあきないほど名残惜しかったのですが、
時間の関係で、遊覧船に乗るのはあきらめ、
再び緑のアーチのような奥入瀬渓谷を抜け、八甲田山に向かいました。

八甲田山と言えば、210名中199名が遭難した
雪中行軍遭難事件であまりにも有名です。
新田次郎の小説『八甲田山死の彷徨』を原作とした" 映画『八甲田山』の、
猛烈な吹雪の場面が、目に焼きついています。
しかしなだらかな稜線を描く夏の八甲田山は、深い緑に覆われ、
惨劇の舞台になった場所とは思えないほど、穏やかに映りました。

雪中行軍が行われたのは、
冬季によく見られる西高東低の気圧配置で未曾有の寒気団が
日本列島を襲っていた時だったといいます。
日本各地で、観測史上最低気温を更新した日でもあったそうです。
行軍隊の遭難した山中の気温は、
観測係であった看護兵が記録も残せず死亡したため定かでないようですが、
-20℃以下だったとの推測を、青森5連隊が報告書の中で残しているそうです。
あらためて自然の脅威を感じました。

そんな八甲田山のふもとに、豪華な造りのホテルを発見しました。
ホテル前のベンチから、眺める八甲田山は見事です。
中に入ってお茶とケーキをいただいたのですが、
棟方志功の素晴らしいコレクションにも驚きました。

ブログ八甲田山1.jpg ブログ八甲田2.jpg

次の目的地は、三内丸山遺跡です。
私は歴史好きなのですが、古代史や考古学には全く疎く、
三内丸山遺跡についても、ほとんど予備知識がないまま、訪ねてしまいました。
案内のボランティアの方を質問攻めにして、苦笑されてしまいました。反省!

三内丸山遺跡は、今から約5500年前〜4000年前の縄文時代の集落跡で、
長期間にわたって定住生活が営まれていたと言います。
江戸時代のはじめから、この遺跡のことは知られていたそうです。
平成4年からの発掘調査で、竪穴住居跡、大型竪穴住居跡、大人の墓、子どもの墓、盛土、
掘立柱建物跡、大型掘立柱建物跡、貯蔵穴、粘土採掘坑、捨て場、道路跡などが見つかり、
集落全体の様子や当時の自然環境などが具体的にわかってきたそうです。

とりわけ直径1メートルにも達する栗の巨木を使った、六本柱の大型掘立柱建物は、
全国的に大きな反響を呼んだといいます。
この巨大な六本柱が一体何なのか、
大型の高床建物、望楼、見張り台、トーテムポール説など諸説あるそうですが、
まだ決着がつきそうにないそうです。
ブログ三内丸山1.jpg ブログ三内丸山2.jpg

敷地内には竪穴住居や大型竪穴住居、掘立柱建物(高床式倉庫)、
大型掘立柱建物などが復元されていて、当時のおもかげをしのばせてくれます。
竪穴住居や大型竪穴住居には、自由に入ることができます。
早速竪穴住居の中に入ってみましたが、
入り口は低く、背の低い私でも、かがまないと入れません。
中はひんやりしていて真っ暗、そして土臭いような匂いがしました。
しかし不思議に温かなぬくもりのようなものを、感じさせる場所でもありました。
ここに家族5〜6人で住んでいたらしいです。
当時の人たちの平均寿命は30歳くらい、これは乳児の死亡が多かったせいでもあるようです。
平均身長は男性で158センチくらい、女性は140センチくらいだったそうです。

大人が死ぬと、地面に掘られた楕円形や小判型の穴に埋葬されたといいます。
大人の墓(土坑墓)は谷の東側にあり、
同じ方向を向き、道路をはさんで向かい合うように配置されていたそうです。
子どもの遺体は、土器の中に入れられ、住居の近くに埋葬されたのだそうです。
死んだ子どもが生まれ変わってきて欲しいという願いをこめて、
土器に入れられたのではないかと推測されるとも聞きました。
土器の中から握りこぶし大の石が1〜2個出土するものも多く、
埋葬時の習慣に関わるものと考えられるようです。

例外として、ゴミ捨て場として使われていた泥炭層から、骨が出土されることがあるそうです。
当時は基本的には階級はなかったといわれていますが、
何らかの理由によって、墓ではないところに埋められた人がいた可能性もあるようです。
のどかに見える集落の中でも、差別や村八分やいじめなどが存在したのでしょうか。

また谷から見つかった動物や魚の骨、植物の種子や花粉からは、
当時の自然環境や食生活を知ることができると言います。
ヒスイやコハク、黒曜石は、遠方との交易があったことを示し、
漆器の存在は、専門的な技術を持った人がいたことを、物語っています。

では、これほどの遺跡がなぜ終焉を迎えたのでしょうか。
一因としては、気候の寒冷化などが挙げられるようですが、
それだけで遺跡全土を手放すとは考えづらく、まだまだ謎につつまれているようです。
敷地内を歩いていると、タイムスリップしたような感覚に襲われます。
次第に遺跡の謎に興味を持つようになりました。
今度訪れるときには、もう少し勉強してから訪ねたいと思いました。もう一度反省!


ブログ三内丸山3.jpg ブログ三内丸山4.jpg
posted by 橘かがり at 00:49| 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月16日

北へ みちのくへ まほろばへ   青森旅行日記 その1

東京駅から新幹線に乗り込み、八戸駅についたのがお昼を少し過ぎた頃。
友人から薦められた、八食センターという市場の中の食堂で、昼食をとりました。
市場はにぎわって、とても活気があります。食材は豊富で、どれも新鮮そうです。
思わずお腹がぐ〜と鳴ります。
車中でお弁当を食べずに我慢した甲斐があるというものです。
うにやいくら、ほたてなど、すべて美味しそうで、
メニューから一つを選ぶのに大変苦労しましたが、
私は「せんべい汁」というのを頼んでみました。

せんべい汁とは、もともと江戸時代の天保年間、飢饉食として生まれたものだそうです。
せんべい汁の具にすることを前提に焼き上げた「かやきせんべい」というのが
小さな鍋と一緒に運ばれてきます。せんべいを細かくちぎって鍋の中に入れて、
醤油味の汁の中で、ごぼう、きのこ、ねぎ等の具材と共に煮立てます。
数分後にせんべいは汁を吸って、ふしぎな食感となります。
秋田のきりたんぽ鍋を、少しあっさりした感じでしょうか。
とてもヘルシーな美味しさでした。
つれが選んだのはホタテフライ。これもまた大変美味しかったようです。
昼食を終えてから、レンタカーで奥入瀬渓谷へと向かいました。

ブログ青森旅行@.jpg ブログ青森旅行A1.jpg

実は小学校の修学旅行で、八戸や奥入瀬、十和田湖に来たことがあります。
30年以上も前のことです。
当時私は都心のミッションスクールに通っていました。
学校では、恵まれない地域の子ども達に、文具や衣料を送るという取組みをしていて、
送り先の一つが、当時、自然災害の被害を受けて困窮していた八戸の小学生たちでした。
私たちは、ノートや鉛筆、セーターやカーディガンなどを、
ダンボールに詰めて送っていました。
そのお礼もかねて、八戸の小学生たちが、昼食会を開いてくれたのでした。

八戸の小学生たちは、はにかんだような表情で私たちを迎えてくれました。
先生たちもとてもにこやかに、東京からやってきた私たちを歓迎してくれました。
私が送った消しゴムやノートを使ってくれている生徒さんもいました。
クラスを代表して級長の男の子が、感謝と歓迎の挨拶を述べてくれました。
しかしその少年のまなざしにはどこか翳りがあり、
目が笑っていなかったような気がしたのです。少なくとも私にはそう見えました。

その後私たちは彼らと一緒にお弁当を食べました。
同学年なのに、会話はほとんどはずみませんでした。
共通の話題がまるでなかったのです。
彼らは私たちに何も質問をしなかったし、
私たちも彼らの生活について、具体的に尋ねようとはしませんでした。
もちろん私たちの取組みは善意に満ちたものだったし、
会場には終始なごやかな空気が流れていました。
そこには悪意のひとかけらも無かったはずです。
しかし私たちがもう少し彼らのことに関心を持っていたなら、
もっと深い部分で交流が持てたのではないかと、
後になってひどく悔いるようになりました。

都会から来てはしゃいでいた私たちは、
傲慢で残酷な存在に過ぎなかったのではないかと。
同年齢の私たちに頭を下げるのは、彼らにとって屈辱ではなかったかと。
そんな風に思えてならないのです。

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窓から奥入瀬の景色を眺めながら、そのときのことをぼんやり考えていました。
奥入瀬の木々はまぶしいほど瑞々しく、渓流の水は澄みきっています。
せせらぎの音も心地よく、まるで音楽を聞いているようです。
しばらく緑の渓流を走った後に、神々しいほど美しい十和田湖が、
突如、目の前にあらわれた時の驚き。
それは三十年前とほとんど変わらない光景で、当時の高揚した気持ちと感動を、
再び味わうことができました。

八戸の小学生たちは、その後どんな人生を歩んだのでしょうか、
今は何処でどんな暮らしをしているのでしょうか。
もし再び会うことができたなら、あのとき聞けなかったことを
尋ねてみたいと思います。

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タグ:青森 旅行 
posted by 橘かがり at 04:38| 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月09日

一瞬を永遠に  エトワールガラ2008を鑑賞して

20080808 エトワールガラ.jpg

パリオペラ座のダンサー達を中心にした「エトワールガラ2008」
鑑賞してきました。
前回の公演が2005年で、今回が二度目の開催です。
日本ではさまざまなガラ公演をみることができますが
「エトワールガラ」が他の公演と決定的に違っているのは
すべてダンサー自身による、セルフプロデユース公演であることだそうです。
演目の選択はもちろんのこと、上演権の獲得まで、人任せではなく、
すべてダンサーたちがやっているのだと知り、驚きました。
プログラムの構成もとてもよく練られていて、並々ならぬ意欲と緊張感の伝わってくる
素晴らしい舞台でした。

どの演目も良かったですが、「カノン」「瀕死の白鳥」
「マーラー交響曲5番アダージェット」「トリオ」などが印象に残っています。
大好きなダンサー、マリ=アニエス・ジロの豊かな表現力には特に感動し、
久々にバレエ泣きしてしまいました。
彼女の優美な指さき、しなやかな肉体が紡ぎだす深い情感を、
文章で書き表すことなど不可能ではないかと、思えてなりません。
言葉を越える芸術。それがバレエではないかと。

瑞々しい肉体に、円熟した精神の宿っているダンサーたち。
しかし今この瞬間は、輝くばかりに美しい肉体であっても、
じきに衰え、老い、やがては朽ち果てます。ダンサーたちは誰よりも、
肉体の脆さやはかなさを、深い部分で感じ取っているのではないでしょうか
だからこそ、洗練の極みでありながら、どこかとても温かく、
これほどの充実した舞台空間を、生み出せるのではないかと思います。

バレエを観ていると、生と死、限りある肉体と永遠を、共に感じることができます。
同時に生命と平和の尊さについても、深く考えさせられます。
バレエは私に、時には書物以上のものを教えてくれます。
バレエを観る楽しみを知ることができて、本当に良かったと思える瞬間です。
posted by 橘かがり at 17:31| バレエ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする